今年5月、スタンフォード大学他の研究者・医者から一本の論文が報告された。
Unexpected mutations after CRISPR–Cas9 editing in vivo
藻類の研究開発の分野でも話題のゲノム編集技術に関するものだ。
この論文は、ゲノム編集を貶める目的で書かれたものではない
論文の内容はこうだ。
– CRISPR-Cas9システム (以下、CRISPR) でゲノム編集を施した受精卵より誕生した2匹のネズミのゲノムを、ゲノム編集を施さなかった受精卵より誕生した一匹のネズミのゲノムと比較すると、ゲノム編集を施した部位以外の多くの部位で1塩基変異 (single nucleotide variants, SNVs) や挿入・欠損 (indels) が確認された。
– また、それらの予期せぬ変異が、ゲノム編集を受けた2匹のネズミのゲノム間で非常に共通していた。
– これら変異の多くが、CRISPRで使われたgRNAから想定しうる変異部位とは異なる場所で起こっていた。
この観察結果より、著者らはCRISPRによるゲノム編集によって予期せぬ変異が生じる可能性を報告した上で、いかにその可能性を減らし、ゲノム編集技術を改善し、臨床試験におけるリスクを減らすため、より一層の研究開発の必要性を報告内で提起している。
CRISPRによるゲノム編集が、予期せぬ変異を生じることは以前より議論されており、この報告が初めてのものではない。
また、この論文の著者であるMajahan医師はこう述べている。
「CRISPRシステムが悪いモノだとは思っておらず、それどころか素晴らしいモノだと考えている」
「私はCRISPRの技術と金銭的な関連はなく、単に患者がいるだけ」
決してCRISPRを貶める目的でこの報告を発表したわけではないことは明白である。それどころか、より良いものへ改善しようとしている人物であると読める。
科学の世界で繰り広げられる健全で建設的な議論。それに反し、センセーショナルなタイトルで煽るマスメディア
関連企業や研究者からは、報告の内容に対して様々な反論が上げられ、議論が続いている。
The experimental design and data interpretation in “Unexpected mutations after CRISPR–Cas9 editing in vivo” by Schaefer et al. are insufficient to support the conclusions drawn by the authors
Intellia’s Response to Nature Methods Article on CRISPR/Cas9
学術的に、こういった議論はとても健全なものであり、個人的には、科学の発展というものはこうした健全で建設的なやり取りの上に成り立つものであると信じている。
ところが、この報告を目にした一部のマスメディアは、CRISPRの終焉と言わんばかりの非常にセンセーショナルな見出しを付けて、この報告を紹介した。
“CRISPR May Not Be Nearly as Precise as We Thought (CRISPRは考えられていたほど正確なものではないのかもしれない)”
“Small Study Finds Fatal Flaw in Gene Editing Tool CRISPR (ある研究がゲノム編集技術CRISPRの決定的な欠点を発見した)”
結果、CRISPR技術を売りにした企業の株価は同日中に暴落。Editas Medicine は12%、Crisper Therapeutics は5%以上、Intellia Therapeuticsは14%の株価下落となる。
どこの世界でも似たようなことばかりである。
かつてセンセーショナルな内容で独り歩きした、「藻類バイオ燃料の生産性」を示す表
ここに、2007年に発表された藻類バイオ燃料関連の有名な論文がある。
Biodiesel from microalgae
この論文中に、「Comparison of some sources of biodiesel」というタイトルの非常に有名な表がある (論文296ページ、左下の表1)。
その表は、藻類培養を用いてバイオ燃料を生産した場合、ある仮定のもとで期待される生産性の「試算値」を示したものである。一部の仮定では、いくつかの「高い生産性」が報告された論文がその仮定のベースになっている。その試算によると、藻類を用いたバイオ燃料生産は、パームオイル生産の10倍~20倍の生産性を期待できるとある。
ちなみに、表に提示されている「藻類培養を用いたバイオ燃料の生産性」の数値は、いずれもフォトバイオリアクターを想定した場合の試算値であり、レースウェイやポンドを想定した数値ですらない。これらの細かい設定は、元の論文には記述されている。
しかし、この論文の発表以降、この表はそういった説明を併記されないまま、藻類に関する多くのメディアや論文で使われることになる。微細藻類を説明する際にこの表が登場しないことはないほど、センセーショナルなタイトルとともにあらゆる機会で使用されていたように記憶している。日本でも「藻類産業創成コンソーシアム」のウェブ上に転載されている。
今現在、この表を元に藻類バイオ燃料の生産性が語られることはなくなった。しかし、個人的には2007年以降しばらくの間、この表には非常に苦労させられた記憶だけはある。
「おまえはどうしてこの論文が言うようにモノを作れないのか」
情報に対して能動的な姿勢を持てているか
理解に専門性を必要とする情報に限らず、多くの情報はその真偽を見極めることに労力が掛かる。最近世間を賑わしているフェイクニュースの話題にしてもそうであるが、それらの情報が吟味されないまま溢れかえるのを止めることはもはや不可能だろう。
情報源が限られていた一昔前は、その限られた情報を大勢が目にしていた。それゆえ、明らかに「事実ではない」情報に対しては一定のフィードバックがなされていたと考えられる。つまり、平均的な情報の信憑性は、今ほど低くなかったのではないだろうか。
そのため、与えられる情報を鵜呑みにするような情報に対して受動的な姿勢でも、大きな問題を顕在化させる機会は少なかったように感じる。(もちろん感覚的な話であり、十二分に反論の余地があるかと思う。)
しかし、今の時代は違う。誰しもが気軽に発信できるがゆえに玉石混交の情報が溢れかえっているのだ。このような環境の中、昔のように受動的であり続けることは、知らぬ間に不確実性を拡大させる危険性がある。自分のためにも周囲の人のためにも、能動的に情報を獲得し、分析し、利用するという行為はもはや必須事項と言えるのではないだろうか。
参考資料:
https://www.wired.com/2017/06/crispr-mutations/
https://www.technologyreview.com/s/608073/gene-editing-companies-hit-back-at-paper-that-criticized-crispr/
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